東香寺庭園(町指定重要文化財)
心字池庭園
老梅山東香寺は、正和年間(1312~1316)夢窓国師の開山と伝えられています。東香寺の奥山のことを老梅山と呼び、この山上に夢窓国師の座禅石と伝わる岩があります。東香寺はその山の中腹を平坦にした所にあり、その庭園は心字池と呼ばれ、夢窓国師の作と伝わっています。国師の掘られた揚子泉は岩壁を削ったところにあり、離れて庭の中央部に滝口があります。池中に島があり、梅の古木があります。岩組は所々に組まれているが槍石風です。離座敷は掛け作りとなって崖のところにあるので、ここへ新しく石を配置した形跡があります。200平方メートルの庭であって右手の岩組その他に力強さがあります。揚子泉は夢窓国師が掘られた湧泉であって、心字池の水源となっています。その岩壁上には古い五輪塔があり、本堂前に夢窓国師お手植えの梅と言い伝える紅梅の老樹があります。
東香寺の宝篋印塔・五輪塔・無縫塔
宝篋印塔(県指定重要文化財)
無縫塔(県指定重要文化財)
五輪塔(町指定重要文化財)
五輪塔(町指定重要文化財)
東香寺の開基は美濃国守護土岐頼遠、開山は夢窓疎石と伝わります。東香寺に伝わる宝篋印塔(岐阜県指定重要文化財)は後醍醐天皇を、2基の五輪塔(町指定重要文化財)は、土岐頼遠と足利尊氏、無縫塔(岐阜県指定重要文化財)は夢窓国師の供養塔と言われています。夢窓疎石は建治元年(1275年)、伊勢の国(三重県鈴鹿市三宅町)の生まれで、29歳の時に鎌倉五山の浄智寺住職高峰顕日に教えを受け、甲斐の浄居寺にいましたが、正和2年(1313年)にここを出て、甲斐より遠江(静岡県)を経て、東濃に入り、この地の深山幽谷の美にひかれて庵を開きました。これが多治見の虎渓山永保寺です。美濃にあっても各地に幽居の地を求め、現在の富加町大平賀の環境を愛し、ここに庵を結び、これが東香寺の由緒となっています。国師は1ヶ所に定住することなく、自然に親しみ、行脚し、各地で寺を創建しています。
美濃国守護である土岐頼遠は夢窓疎石に帰依し、大平賀の東香寺、川辺町の妙楽寺などの開基となり、夢窓疎石を開山としました。頼遠は興国3年(1342年)、光厳上皇の行列に出合い、狼藉を働き、不敬の罪で幕府の手に捕らえられ、京都臨川寺の夢窓疎石を頼って赦免を頼ったが許されず、六条の川原で処刑されました。鎌倉幕府が滅び、隠岐の島から京都に戻り建武親政を開始した後醍醐天皇に招かれ、南禅寺の住職となります。その後、臨川寺の開山にも招かれ、後醍醐天皇より国師の称号を与えられます。こうして夢窓疎石は最大の外護者として後醍醐天皇の信任を得、美濃国には土岐氏、京都では後醍醐天皇、足利尊氏を外護者として各地に寺を創建しました。
東香寺にある宝篋印塔、五輪塔、無縫塔は、この寺を創建、護寺してきた人々の菩提を弔うための供養塔として南北朝期に建てられたものと考えられます。
所在地
加茂郡富加町大平賀
お問い合わせ
- 富加町郷土資料館 TEL 0574-54-1443
- 富加町教育委員会 文化財係 TEL 0574-54-2177